つぶやき一覧
『iphoneを探す』の機能によって助けられたが、使い方次第では『恐ろしい!』と感じたこと。
- 2012.08.23(木)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
深夜のタクシーでiphoneを忘れてしまった。
気づいたときには自宅でグロッキー状態だったので『ま、朝になって探せばいいわ』くらいに思っていた。
が、翌朝何度鳴らしても誰も電話に出ない。(運転手さん、届け出てないの?)
こんなときに限ってタクシーの領収書をもらってなかったのでタクシー会社すらわからない状況。
そこで思い出したのが、『iphoneを探す』という機能のこと。
確かそんな機能があって設定を『on』にしていた記憶が。
早速嫁のiphoneを使って捜索を開始すると、、、
しっかりと出てきました、僕のiphoneのありかが。
何と南港の倉庫街にありました。
何でそんな所に!と考えながらも、早速車でその場所を目指すことに。
行ってみてわかったのですが、その場所にはタクシー会社の車庫が!しかも同じ場所に4社分も!
1社目で見つからなかったので位置情報のマップをマックスまで拡大して正確な場所を特定すると、そこには3台の待機中の車が!
一台づつ探して見ると、、、
ありました!僕のiphoneが!
マップ上の位置とピッタリの場所に!
何とすばらしい機能、アップルすごい!
と思った1日でした。
しかしその後一抹の不安が。
『これって、この機能を使えば自分がどこにいるのか嫁は常時把握できてしまうじゃないか!!』
何と恐ろしい!
早速設定をoffにして二度とiphoneを失くすまいと誓った僕なのであった。
夏休みは子供が家にいて母親は大変だけど、そんな子供から教わることもまだまだ沢山あるな~と感じること。
- 2012.08.10(金)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
8月になると子供達が家にいる時間が長く、どこの家も母親は大変なんじゃないかと思う。
仕事に出っぱなしの父としては、帰宅時にいつもより穏やかでない妻の機嫌を気にしない訳にはいかない状況だ。
私達の時代と同じで、子供達にはしっかりと夏休みの宿題が与えられていて、うちの子も嫌だ嫌だといいながら既にテキストの宿題は全部やってしまっていた。
どっちに似たのかハンパ無い負けず嫌いの長女は、なにやら夏休みの工作でクラスの皆を出し抜きたいと思っているらしく、毎日毎日そのネタ探しに家の中をキョロキョロしていた。(この長女の負けず嫌い精神とそれを達成するための直向な探究心!親父も見習わなければ。)
こんなときこそは父親の出番!と、初めて長女の工作に協力することになった。
世の流行を取り入れた『エコ』をテーマに“ある素材”のみを利用して“動く何か”を作ることに決めた。
題材が決まったので素材を捨てずに貯めておいて、盆休みの間には完成させたいと思っている。
もちろん作るのは娘の役目。
私はとなりで『あーでもない』、『こーでもない』とうるさい親父役をするだけ。
それでも娘との楽しい共同作業を目前に、久しぶりにワクワクしている中年親父なのであった。
暑中、フェイスブックやブログの使い方を抜本的に見直そうと考えていることについて。
- 2012.08.08(水)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
ブログもホームページもフェイスブックページもそれなりに揃えてはいるのに、なかなかそれらを通した反響が来ない。
お世話になっているコンサルタント会社の方に相談すると、どうも僕のフェイスブックのネタ(発信する情報)に面白み、人間味が感じられないとのこと。
あまり個人的な情報を発信して来なかったのがその要因のようだ。
正直自分の普段の行いに人に伝えるほど面白みのある話もなく、“そんなネタ披露したところで誰が喜んで見るのかと”バカにしていた面がもあった。
でもフェイスブックを見るとそのような他愛も無い情報やネタで溢れているのがわかる。
ツイッターもしかり。
何故か毎年暇になる夏の時間に考えをめぐらせた結果、コンサル会社の人の言うことを聞いて一度苦手なことにもチャレンジして見ようと思う。
これからはこのブログをはじめフェイスブック等でも『しょーも無い話』が登場するかも知れませんが、その点何卒ご容赦くださいませ!
暑い夏を日本にいる皆様が無事に健康で過ごせますことを願って。
2012年8月
行政書士 孫勇
自分は「四十にして惑わず」、「五十にして天命を知る」ことができるのだろうか?
- 2012.05.31(木)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
孔子の論語。
「われ十五にして学に志し」
「三十にして立つ」
「四十にして惑わず」
「五十にして天命を知る」
「六十にして耳順う」
「七十にして心の欲するところに従っても矩をこえず」
深い意味はわからないが、「十五にして学に志し」た覚えはまったく無い。
しかし、遅まきながら「三十にして立つ」には立った。
40才を迎えた今日、「四十にして惑わず」の真意をこの40代の10年間に問い続け、「五十にして天命を知る」ことができるように、日々精進していこうと誓ったのであったのであった。
孫氏。
『40才を迎えるに当たって趣味のひとつも持たないとリタイアしたあとの人生に行き詰ってしまうのではないか?』と考えはじめたこと。
- 2012.05.04(金)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
先日、家族と僕の母親、その妹(僕から見たら叔母にあたる人)の7人で若草山を登った。
登ったといっても山頂まで車で行って有料となっている登山道を1キロばかり行き来した程度だ。
子供たちはどこへ行ってもテンションを上げることができ、一番下の子などは拾った棒切れを杖代わりにして一人黙々と山を歩いていた。
しばらくすると沢山のお年寄り達が山頂に現れた。
登山を楽しむグループのようだったが、皆楽しそうにお弁当を広げて山での時間を堪能していた。
その姿を見て、何かを一緒に楽しむことのできる沢山の仲間が近くに居ることがとてもうらやましく思えた。
僕は、10代、20代の頃、割と大人数の会社で職場の仲間と楽しい日々を送っていた。
しかし、沢山の人間と一緒に仕事をすることの『嫌な部分』が見え始めてきた30代に会社を辞めて、今では個人事業主として事務員2人と働く程度だ。
前の会社の人たちと会うことも多いが、沢山の仲間とひとつの目標に向かって働いている話を聞くとうらやましく思うこともある。
今後の人生において、多分僕の会社(事務所)で人を雇うとしてもせいぜい数人程度だろうに、10代、20代に味わった仲間と苦楽を共にできる時間を作ろうと思うと、仕事以外に何かしら趣味や団体等に所属するしかないと思っている。
しかし、今のところ仕事以外に何かに一生懸命になることができずにいる状態が続いている。
唯一の助けは、僕の仕事は定年が無いので死ぬまで続けることが可能だということだ。
もちろん依頼者が来てくださることが大前提だが、、、