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母国語の難しさを身にしみて感じていること。

2ヶ国語を使いこなすことは本当に容易ではないと、最近つくづく思う。
日本で民族学校に通い朝鮮語を12年に渡って学んだにもかかわらず、この仕事を始めてわかったことは、自分か母国語をまったく話せないという事実。
正直、テレビで見るスマップの草薙剛の方が断然に流暢に韓国語を話していた。
それを見て本当に悔しく思ったものだ。
当時、韓国の方と話す際は極力韓国語で話すようにしていたが、相手が途中から日本語で話し始めることが多かった。
そんなときは“くっそ~”と悔しがったものだ。
それでもめげずに韓国語を話すようにして、いつしか僕の韓国語に日本語で返事を返す人は居なくなった。

日本で生まれ日本人として生きる選択肢も用意されているが、あえて外国人として生きる自分のアイデンティティーの一部として、これからも母国の言葉を学び続け極めることが一つの目標でもある。
そしてこの仕事をリタイアしたとき、いつか見た『裁判所で流暢に韓国語を話す法廷通訳の女性』のように、日本と母国の狭間に立って活躍できたらなと思う。
ちなみに今の僕の朝鮮語のテキストは、NAVERの웹툰(ウェプトゥン)である。マンガのセリフを繰り返し練習してます!

※韓国語のブログも復活しましたので、よろしければ一読を!

『日本人の韓国離れがますます鮮明になっている。』との報道に接して思ったこと。

冬ソナのヒットから長期間にわたって老若男女問わず根強い人気を誇ってきた『韓流ブーム』に陰りがみられるようです。

報道によると、【博多・対馬・下関と釜山を結ぶフェリーと高速船の2013年度上半期の輸送実績で、日本人の利用者が34.9%減の11万1千人と1999年度の調査開始以来過去最低となったとのこと。一方、韓国人利用者は前年同期比8.8%増の47万7千人と過去最高だった。韓国から近い対馬の人気が継続しているほか、円安ウォン高も影響したとみられる。】(九州運輸局発表)

確かに周りを見ても韓ドラの話をする人が減ったようにも思い、また僕が度々訪れる大阪の韓流ショップのメッカと呼ばれるJR鶴橋駅から御幸森のコリアタウンまでの区間に多数軒を並べる商店でも一時の賑わいが去ったように感じる。

為替の影響や政治情勢、また最近はやりの『ヘイトスピーチ』など、様々な要因が考えられるが、僕が思うに『どんな流行にもとりあえず乗っかろうとする“にわかファン”が去ったこと』が主因で、ブームは去ったと言えるが固定したファンからの指示はいまだ根強いものがあるのではないでしょうか。

熱しやすく冷めやすい気質は日本人も韓国人もとてもよく似た部分だと思いますが、これをコントロールしているかと思われるマスコミや政府の思惑に必要以上に踊らされないようにしなければならないのだ。

相続をはじめ、ここ数週間の仕事は亡くなった方の手続に関するお手伝いばかりなこと。

この仕事をしていて不思議なのは、時によって似たような仕事が集中的にやってくることだ。

昨日のブログでも紹介したが、今僕の事務所で一番多いのが在日コリアンが関係する相続についてのお手伝いだ。

何より複雑で大変なのが、未整理のまま放置されている本国(韓国)の家族関係登録(旧戸籍)に関する謄本の入手やそれに基づいた相続人の確認作業、それに一番苦労するのが日本語訳。

被相続人から相続された不動産の名義を変更する際に、韓国籍の在日コリアンは法務局へ本国の身分関係を証明する書類を添付するのだ。

もちろん、ハングルで表記されているものについては日本語訳を付けるのが基本。

司法書士さんや弁護士さんからその件での依頼が来るのだが、その作業はほとんど事務員さんへまる投げ状態。

彼女の『目』と『肩』と『神経』を酷使させていることに多少の罪悪感を持ちながらも、やって来た仕事は当然のようにありがたく請け負っている。

中でも、『縦書き・手書き』の除籍謄本は強敵である。

当時の役所の職員さんが、癖のタップリ利いた漢字&ハングルで枠からはみださんばかりの勢いで書き上げた代物だ。

ビッシリ詰まった文字を眺めながらの事務員さんのため息がこだまする、、、

見ていて面白いのが、昔誰かに教わったことのある『創氏改名』の痕跡がありありと記載されていること。

『あ~、ホンマにこんな目にあってたんやな~』と感慨深く思う反面、もう遠い昔の出来事だと何も感じない自分もいる。

不思議に思うのは、創氏改名によって無理やり付けられたと言うその日本名を、日本での生活手段として使用している彼らの子孫(僕ら)がいくらでも居ること。

(ちなみに僕の日本名:通称名は近藤。その由来は10数年前のNHKの大河ドラマである。創氏改名とは何ら関係ございませんが。)

何とも複雑怪奇な『歴史問題』なのであった。

お終い。

32年前の今日、韓国で起こった事件が僕の故郷(コヒャン)の近くでの事件だったことに思いを巡らせたこと。

韓国では今から32年前の今日、当時の軍政に反対して学生達が立ち上がり数日の間に沢山の血が流された歴史的な一日とされている。
五一八光州民主化運動記念日として、韓国の歴史に刻まれているのだ。
その中心地となった全羅南道光州市は、僕の韓国の故郷(コヒャン)である全羅南道霊岩郡のすぐ近所だ。
韓国人のクライアントから、『料理が美味しくてヤクザが多いのが有名な田舎町だよ』と聞かされたことがある。
住んだことも無いところを故郷と呼ぶには多少の違和感を感じるが、同じ全羅南道を祖先の出身地とする同胞と会うと、なんだか喜ばしい。
僕の住んでいる大阪の街には多くの在日の方がいるが、そのほとんどは済州道を故郷に持つ方達だ。
全羅南道を故郷に持つ人間は少数だと思う。
一度だけ、『郡』まで同じ故郷を持つ他府県の同級生とあったことがあるが、僕だけかも知らないが身内のように感じたものだ。
過去に起きた故郷での痛ましい出来事について、もし僕のお祖父さんが日本へ来ていなかったら当時8歳だった自分も他人事では済まなかったのだな~などと考えてしまう。
時間があれば当時のことをもう少し掘り下げて学んでみたいと思う。
僕の頭の中にある光州事件に対する知識は、韓国ドラマ『モレシゲ(砂時計)』が基礎となっている脆弱なものだから。
(チェミンス、かっこよかったな~)
ちなみに、光州事件を題材にした復讐劇をモデルにした韓国の無料ネットマンガ『26年』は、一読の価値有りです。
以下のサイトからご覧いただけますよ。
http://cartoon.media.daum.net/webtoon/viewer/1157

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